|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 佐 : [さ] 【名詞】 1. help ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 一 : [いち] 1. (num) one ・ 医 : [い] 1. (n,n-suf,vs) medicine 2. the healing art 3. doctor 4. cure 5. healing 6. quenching (thirst) ・ 師 : [し] 【名詞】 1. (1) teacher 2. master 3. one's mentor 4. (2) the Reverend
佐藤 清一郎(さとう せいいちろう、1883年(明治16年)1月 - 1965年(昭和40年)5月17日)は、日本の外科医。東京医学専門学校教授、順天堂医学専門学校教授を歴任し、日本外科学会会長。東京府日本橋区出身。 == 生涯 == 略歴〔「臨床外科20(8) 1965年8月 故佐藤誠一郎先生略歴」(医学書院)〕 1883年(明治16年)1月日本橋区の樋口家に生まれる。 1905年(明治38年)7月第一高等学校を卒業し〔「第一高等学校一覧 明治38-39年 明治38年7月卒業 医科志望P253」(第一高等学校)〕、京都帝国大学福岡医科大学に進学し順天堂副医院長で順天堂医院第二代医院長佐藤進の養子である佐藤恒久の養子になる。1907年(明治40年)義父佐藤恒久が死去する。1909年(明治42年)12月福岡医科大学を卒業し〔「九州帝国大学一覧 明治44-45年 卒業生医学士 明治42年12月P126」(九州帝国大学 明治45年2月)〕、卒業後は福岡医科大学外科(三宅速教授)に入局。1912年(大正元年)よりドイツ・イギリス・ベルギー・オランダに留学しゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンやベルリン大学で病理学・肺外科の研究に従事し、第一次世界大戦勃発により1914年(大正3年)帰国した。 1916年(大正5年)論文提出により医学博士学位を授与され、同年福岡医科大学を辞し順天堂医院外科部長に就任する。 1918年(大正7年)東京医学専門学校創立に際し、義父である佐藤恒久同様に佐藤進の養子で清一郎にとり叔父にあたる佐藤達治郎が同校学長に就任し、清一郎も同校教授を兼務する。 1942年(昭和17年)日本外科学会長に就任。 1944年(昭和19年)順天堂医学専門学校設立により同校に専念することとなり、東京医学専門学校教授職を辞任する。 1946年(昭和21年)5月戦後の医学教育制度大改革の中、順天堂医学専門学校は順天堂医科大学に昇格し、達治郎が初代学長となった。翌1946年(昭和22年)、義叔父達治郎が学長職を辞し達治郎の娘婿有山登が学長に就任すると共に、清一郎は順天堂医科大学を辞任した。 1950年(昭和25年)日本胸部外科学会名誉会員、1954年(昭和29年)日本外科学会名誉会員になり、1955年(昭和30年)日本通運病院長に就任し、1959年(昭和34年)厚生中央病院顧問を勤める。1965年(昭和40年)5月17日、逝去する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤清一郎 (医師)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|